Lesson 23エリシャには、その若いやもめが絶望的になっているのがわかりました。彼女は老いた預言者の足元にすがりつくと、泣きながら言いました。「債主がきて、わたしのふたりの子供を取って奴隷にしようとしているのです」。やもめの夫は莫大な借金を残して、突然亡くなってしまったのです。聖書の時代の債主には、返済できない家族の持ち物を差し押さえ、子供まで取り上げる権利がありました(ヨブ記 24:9)。
「あなたの家にどんな物があるか?」と、エリシャは取り乱した母親に尋ねました。
「一びんの油のほかは、はしための家に何もありません」と、母親は答えました。少しずつ家具や金目のものは冷酷な金貸しへ手渡し、家には、2人の子供と小さな油の壺しか残っていなかったのです。オリーブ油は家庭の必需品でした。それは灯りにも、暖房にも、料理にも、癒しにも、使われていました。
エリシャはやもめと子供たちに、近所から空の器をできるだけたくさん借りてきなさい、と言いました。彼らは器を家に持ち帰ったなら戸を閉めて、小さな壺から油を空の器に流し込むのです。エリシャから言われたとおりにすると、すばらしい奇跡が起こりました。小さな壺の油は、家にあった器全部に満ちるまで止まりませんでした。
「今度は何をしたら良いでしょうか?」と、若いやもめは預言者に尋ねました。
「行って、その油を売って負債を払いなさい。あなたと、あなたの子供たちはその残りで暮すことができます」(列王紀下 4:7)と、預言者は言いました。油の奇跡のおかげで、やもめと子供たちは、喜び勇んで預言者の前を去って行きました。
主は、サタンという名の残忍な債権者からあなたを解放したい、と願っておられます。このような奇跡は、主があなたの器をご自分の特別な油で満ち溢れさせてくださるときに起こるのです。
1. 聖書では、器と油は何の象徴ですか?
_____ 答え
注: 聖書は、神が陶器師であり、わたしたちは粘土の器である、と教えています(エレミヤ 18:1-6;ローマ 9:20,21)。わたしたちは1人ひとり、目的を持って造られました。聖書のさまざまな箇所で、「油」は神の霊の象徴として使われています。純粋なオリーブ油は、主の霊がわたしたちの心を照らすことの象徴として、ユダヤ人の神殿の中を照らし続けるランプのために用いられました。ご自分の民に神の霊を満たすことが、神の望んでおられることなのです(ヨエル 2:28)。2. 聖霊は人格を持たない力ですか、それとも神ですか?
_____ 答え
注: 使徒ペテロは、聖霊を欺くことは神を欺くことだ、と明言しました。さらにイエスは、父と子と聖霊の名によって洗礼を授けるようにおっしゃり(マタイ 28:19,20)、聖霊が父と子と並ぶ神格の第三のお方であることをはっきり示されました。
聖書はまた、わたしたちが聖霊を悲しませうる、と述べており、それはつまり、聖霊に感情があることを意味しています。聖霊は、人格を持たないただの力ではありません。聖書の中で聖霊は、助け主、聖霊、真理の霊、主の霊、神の七つの霊、そして単に霊などと呼ばれています。これらの呼び名は、すべて人格を表しているのです。3. 聖霊の主な働きは何ですか?
_____ 答え
注: イエスは、いつもわたしたちと共にいる、と約束してくださいましたが、主がわたしたちと共におり、私たちの内にいてくださるのは、聖霊を通してなのです(ヨハネ14:17)。4. 赦されることのない罪とは、どのような罪ですか?
_____ 答え
注: 聖霊に対する冒瀆とは、単なる1回の罪のことではなく、真理に重ねて抵抗し続け、ついには神のみ旨を退けてしまうことです(ヘブル 10:26,27)。良心は、人が聖霊の印象を退け、無視し続けることによって聖霊の声が聞こえなくなってしまったときに麻痺します。ですから、「赦されない罪」を犯してしまったのではないかという恐れに悩んでいる人は、おそらくそこまで行ってはいません。5. 聖霊によって与えられる賜物には、どのようなものがありますか?
_____ 答え
注: 聖霊がわたしたちの内に入られるとき、さまざまな賜物を携えてこられます。すべての人が同じ賜物をいただくのではありません(コリント第一 12:29-31)。聖書は度々、霊に満たされることの重要さを強調しています。ヨハネ 3:5でイエスは、「だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。」と教えられました。悲しいことに、聖霊とそのお働きは、よく誤解されています。聖霊は人格のない力だ、と教えられている人もいれば、日常生活における聖霊の影響を否定する人もいます。また、聖霊に満たされたならだれでも異言を語るに違いない、と教えられている人もいます。6. コリントの教会では、聖霊のどの賜物が論争の種となっていましたか?
_____ 答え
注: 初代教会の頃と同じように、異言の賜物が再び当惑と論争の種になっています。そこで、この課の大部分を使って、聖書が聖霊の賜物についてどんなことを教えているか、説明しましょう。7. イエスは、弟子たちが全世界に福音を宣べ伝えるのをどのように助ける、と約束されましたか?
_____ 答え
注: イエスの弟子たちは利口だったのですが、ほとんどが無学な人たちでした。世界に福音を宣べ伝えるために、イエスは、彼らがそれまで学んだり、聞いたりしたことのなかった異国の言葉を話せる超自然の賜物を与えることを約束されました。8. 弟子たちが聖霊に満たされたとき、どのようなことが起こりましたか?
_____ 答え
注: 五旬節はユダヤ人の祭日で、過越祭の50日後に祝われました。世界中から熱心なユダヤ人がエルサレムに来て、礼拝をしました。これらの人々にそれぞれの故郷の言葉で福音を伝えることができるよう、神は聖霊を通して異言の賜物を弟子たちに与えられたのです。このときに信じた人たちは、各自の国へ福音を持ち帰りました。9. 聖霊が降ったとき、外国から来たユダヤ人たちは、どのような経験をしましたか?
_____ 答え
注: 異言の賜物とは、解釈の賜物を持っている人か、神にしか理解できない「天国の言葉」のことだ、と言われることがあります。しかし聖書は、弟子たちも聴衆も、語られている内容――「神の大きな働き」――を理解していた、とはっきり示しています。聖書の中には、異言で語っている例が3回しか出てきません。上の聖句は最初の例です。この賜物をもっと良く理解できるように、残りの2つも見てみましょう。10. ペテロがコルネリオと彼の家の者たちに福音を告げたとき、どのようなことが起こりましたか?
_____ 答え
注: コルネリオはイタリア隊に属し(使徒行伝 10:1)、ペテロはアラム語を話すユダヤ人でした。歴史によると、ローマの家庭の召し使いたちは、世界のあらゆる国から来ていました。ですから必然的に、この会合には言葉の壁があったのです。しかし、聖霊がコルネリオと彼の家の者たちに降ると、ペテロと一緒に来た人たちは、彼らが自国の言葉以外の言葉を話しているのがわかりました。その人たちは、彼らが異国の言葉で「神をさんび」しているのを聞いたのです。後日、エルサレムの指導者たちにこの出来事を説明したとき、ペテロは、「聖霊が、ちょうど最初わたしたちの上にくだったと同じように、彼らの上にくだった」(使徒行伝 11:15(強調付加))と言いました。コルネリオと彼の家の者たちは、五旬節に弟子たちが受けたのと同じ異言の賜物を受けたのです。彼らは、人が理解できる言葉を話したのでした。11. パウロがエペソの12人の弟子たちに伝道したとき、どのようなことが起こりましたか?
_____ 答え
注: 使徒の中で一番教養があり、広く旅をしていたパウロは、種々の外国語を話しました(コリント第一 14:18)。聖霊がエペソの12人に降ったとき、パウロとルカは、エペソの弟子たちがそれまで知らなかった外国語で預言するのを耳にしたのです。12. 理解されない異言で語ることについて、聖書は何と言っていますか?
_____ 答え
注: 異言(異国の言葉)の用途は、意思の疎通を図ったり、真理を教えたりすることだと、パウロは何度も説明しています。コリントの教会はさまざまな国籍の人たちの坩堝で、祈りや証しや説教が、その場にいる人たちにわからない外国語でなされ、時折礼拝が混乱しました。
そこでパウロは、もし大半の人にわからない外国語で話そうとするときは、通訳の人(解釈する人)がいない限り、黙っているように、と命じました(コリント第一 14:28)。わたしたちがここから学ぶべきことは、その場にいる人たちが理解できない外国語で話したり、祈ったりすべきではない、ということです。13. 古代バビロンの主な特徴は何でしたか?
_____ 答え
注: バベルの塔は、この世の言葉が初めて乱された場所です。ヘブル語では、「バベル」に相当する語も、「バビロン」に相当する語も「バベル」で、「混乱」という意味を持っています。黙示録18章で神は、ご自分の民を霊的バビロンから呼び出されています。霊的バビロンの特徴の1つは、言葉の混乱です。14. 神の掟を故意に破る人でも、聖霊に満たされますか?
_____ 答え
注: 神のいましめに従うことを拒む人に、聖霊の驚異的な力が宿ることはありません。15. パウロは、どの霊の賜物を熱心に求めなさい、と強調していますか?
_____ 答え
注: パウロが、異言の賜物よりも預言の賜物を重視していたにもかかわらず、ある人たちは現在、聖霊に満たされたならだれもが異言を語るはずだ、と教えています。
神がご自分の民を聖霊で満たされたという記述は、聖書の中に25ヶ所以上ありますが、異言の賜物と結び付けられているのは、わずかに3ヶ所だけです。また、使徒パウロが書いた新約聖書の14書の内、彼が異言について語っているのは、1書――コリント第一――においてのみです。新約聖書全27書の内、わずかに3書だけが、異言を語ることに触れています。16. 神がわたしたちを霊で満たしてくださる主な理由は、何ですか?
_____ 答え
注: 証しをするのに必要な力を与えるために、神はわたしたちを聖霊で満たしてくださるのです。17. 人が聖霊に満たされているかどうか、見分けることはできますか?
_____ 答え
注: 人が聖霊の洗礼を受けたかどうかは、霊の賜物によってではなく、霊の結ぶ実――愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制 (ガラテヤ 5:22,23)――によって見分けられます。18. どのようにしたら聖霊の洗礼を受けることができますか?
_____ 答え
注: イエスが量りきれないほどの霊を持っておられたように、わたしたちは自分の器が溢れるほどの霊を神に求めることができます。しかし、まず器を空にするために、神に心を明け渡さなければなりません。19. イエスは、あなたの人生に貴重な聖霊の油を注ぎたい、と切に待ち望んでおられます。イエスに思いと心を明け渡すことを望まれますか?
_____ 答え